Junbeeができるまでのストーリー
Junbee代表
出口 淳
Deguchi Jun
マーケティングコンサルタント
国家資格キャリアコンサルタント
M&Aアドバイザー
【現在役員を務める企業】
株式会社エクシート(福井県坂井市)
株式会社ディコミュニケーション(東京都中央区)
【運営中のwebサイト】
印刷広告業のためのM&A相談所
1976年生まれ、1999年横浜国立大学経済学部卒業。
大学卒業後、印刷・出版業界のシンクタンク企業に勤務(主に研究調査・マーケティングなどの業務を担当した)。その後、転職し販売促進の提案営業を6年以上経験し、30歳になる年に家業の印刷業を継ぐために帰郷した。
東京での営業マン時代に靴底をすり減らしながら、欲しくない客先に足しげく通う営業スタイルに疑問を持っていたため、帰郷後は「欲しくさせる活動」であるマーケティングについて深く探求をはじめた。
情報収集や行動・検証を繰り返すマーケティングおたくのようになって、顧客のマーケティング力の向上支援を主な業務としてきた。
近年は採用や事業承継の課題に悩む中小企業の社長の現実を直視しながら、その必要性を感じて、M&Aアドバイザーやキャリアコンサルタントの認定を受ける。
現在は販売不振・採用難・後継者不在などの中小企業の問題に寄り添い、日々解決のために動いている。
1.帰郷のきっかけ
30歳になるとき、東京にいる私あてに、父から突然「実家に帰ってきてくれ」と電話がありました。
5回ほど電話があったものの、私はもっと東京でキャリアアップしたいと言ってずっと拒んでいました。なかなか受け入れない私に対して、当時の父のブレーンだった専務が突然上京し、東京駅で5時間説得をされました。そして、渋々帰郷を決めました。
家業の印刷業の後継者として、いきなり常務取締役としての帰郷でした。全体朝礼でみなさんに挨拶をした直後から、周囲から「常務」とよばれると、何の実績もなく社長の長男というだけで役員になっていることに違和感を感ました。
帰郷後いきなり常務就任となり、小さい会社ですが90人以上の人が部下になる構図でした。私が生まれる前から会社でがんばってくれている人もいました、私が赤ちゃんのときから私を知る社員さんが、その日を境にすべて自分の部下になったのです。父と一緒に、主要な顧客やメインバンクの頭取にも挨拶に行き、若い私が会社の個人保証もし、気づいてみたら日に日に中小企業の後継者になっていました。
何の実績もない自分が偉そうなことは言えない、何でもいいから早く周りから認められないとという焦りと不安が募りました。その大きな生活変化のせいか帯状疱疹にかかりました。しかし、「父の後を継ぐと決めた以上は、絶対やってやるぞ」という気持ちになったことは、これまでの人生で一番の不退転の決意だったように思います。
2.会社の現実 ⇒ 大きな将来不安
現場のマネジメントを実際に行ってみると、がんばってくれている社員たちのがんばり方に疑問を持つようになります。
営業社員:お客様からの注文をがあってはじめて動く受け身スタイル。電話がかかってくるのを待っていたり、納品ついでにリピート注文を聞いてくる典型的な受身スタイルのルートセールスでした。
製造社員:掃除しない汚い現場。ルールや生産計画は不在。流れてきた仕事をやっつけ仕事で我流でこなし、ミスや苦情も多く、能率も品質も上がっていない状況でした。
社員全員:自分たちが受注した製品、製造した製品がいくらかかって作られ、いくら儲かったかわからないドンブリ勘定でした。
これからどんどん衰退をしていく紙媒体。ただでさえ大きな逆風の中、このままでは会社の将来はあるのだろうか、戦っていけるのだろうかと不安をいだきました。
そこにリーマンショックが来ました。待ちの姿勢では為す術もなく、売上・利益がどんどん下がり始めました。
少しでも業績をよくするために、新しいやり方を方針として掲げるも「笛吹けど踊らず」の状態で私が頑張れば頑張るほど孤立するのみでした。
社員には今までのやり方があり、このやり方で食べて来れた実績がありました。
3.社内改革(製造編)
そこで目線を変えて着手したのが5S活動です。
整理・整頓・清掃・清潔・しつけについて勉強をし、5S委員会をつくりました。そして、取引先企業と互いに見学会をしたり、情報交換しながら試行錯誤の毎日でした。ペンキ塗りも床のコンクリート補修もすべて自社で行うことにこだわりました。左官屋さんや塗装屋さんに材料を売っていただいたり、指導いただけたのも良かったです。
すべてを自分たちで行うことで、同僚との会話もはずみましたし、自分で作った新たな快適な環境は維持しようとします。
協力しない人もいましたが、多くの社員は5S活動に協力的で、快適な環境をつくってから仕事をする価値観が少しずつ作られていきました。
生産計画・収益の見える化
印刷・デザインはオーダーメイド(受注生産方式)です。同じ仕様のものをひたすら作る一般的な製造業と違い、案件ごとに仕様が異なります。1つ1つが色数・部数・サイズ・加工内容・紙の種類などが異なり、顧客オーダーに合わせた完全なカスタマイズ製品です。しかも、仕様の変更依頼が頻繁にあります。
したがって、案件すべての生産計画を見える化したり、1案件ごとの収益を把握することは容易ではありません。
しかし、受注案件や工程ごとに収益を把握しながらPDCAを回していかないと、低収益構造から高収益体質に変われない現実がありました。
まずは各部署の時間単価を決算書から割り出しました。そして、全員が、作業ごとに「着手」・「終了」を押してタイムカード方式で作業時間がわかるようにシステム導入をしました。ところが、「面倒だ」、「忘れた」、「そんなことしなくても仕事はできる」という理由で、「着手」「終了」を押してくれません。仮に押してくれたとしても、とんでもない異常値になる状態でした。。何年もかけて耳タコ作戦で根気よく伝えることで、ようやく記録を残す習慣がついてきました。
4.社内改革(営業編)
待ちの営業では将来はなし、それが斜陽産業の特徴です。しかし、攻めの営業をすれば斜陽産業に属していても成長企業に転じることができます。
攻めない人にどう攻めてもらうかが大きな課題でした。
最初に行ったことは勉強です。お客さまに対して課題のヒアリングと解決法を提案するために、web技術、販促・デザインなどの勉強をしました。
社内検定制度も作りました。教育カリキュラムをつくり、教育し、欠席者のために動画を撮影配信し、試験をつくって合格者をつくる制度です。
たくさんの引き出し量があってはじめて、怖がらずに営業として攻めて行けるようになるものです。
しかし、恐れず行動してもらうことはかなり難しかったです。お客さまにご提案中に、「この勉強量では、まだまだ突っ込まれるんじゃないか」、「その場で即時返答できないと格好悪いのではないか」、「受注しても当社に解決不可能なのではないか」・・・どれだけ勉強しても解決しない際限のない理由を並べるようになりました。怖がっていても仕方がないため、まずは行動してみることが大事だと唱え、やるべき行動を挙げ、それにコミットしてもらうネクストアクション重視のマネジメントを徹底しました。
最後に、全員がスムーズに営業変革を受け入れたわけではありません。ソリューション営業への転身が嫌で、会社を辞める人も多くいました。また、ソリューションを頑張っていても、自分で妥当な解決策を提案できない人もいました。
しかし中には、顧客のために課題ヒアリングを一生懸命やってくれる営業マンもいて、そんな営業マンを全力で支援したくなったのです。その支援者としての担いを私が責任者として受け持ち、経営の傍ら顧客の問題解決を現場で行う日も次第に多くなりました。ここから中小企業社長のリアルな悩みがもっとわかるようになりました。
5.中小企業のリアルな課題に寄り添いたい
日本の多くの業界が、成熟期を過ぎて衰退期に入っています。またIT、AIやロボット化、アフターコロナによる産業構造の変化など、本当に先が見えない環境になりました。
私も70年以上つづく同族企業の経営者として毎日が不安で仕方ありません。不透明な中、
①「売上を上げるにはどうしたらいいのだろうか」
⇒ webマーケティングで何かできることがあるはずだ。マーケティングだけでなく、M&A(企業や事業の買収)でアフターコロナのビジネスパワーを高めれるはずだ。
②「人材獲得が難しい」「後継者がいない」
⇒ 採用マーケティングをしっかり行えば、もっとマッチングの可能性が上がり、キャリアアップできる人が増えるはずだ。
③「事業が不透明だ」「気力も後継者も不在」
⇒ M&Aで売却して、誰かに引き継いでもらったほうが、従業員や取引先も守られ、もっと世の中がよくなるかもしれない
このような思いでコンサルティング活動をしています。中小企業の目の前のリアルな課題に寄り添い、一緒によい方向に持っていけるよう全力を傾注します。